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See, that’s what the app is perfect for.

Sounds perfect Wahhhh, I don’t wanna

『The Face of the War.(戦争の顔)』──Thomas Wolfe(トマス・ウルフ)

 「戦争の顔」は、元来トマス・ウルフ(Thomas Wolfe 1900─38)の『天使よ故郷を見よ』の一部をなすものだったが、1935年6月雑誌『モダン・マンスリー』(Modern Monthly)に掲載された。ちなみに、この号は戦争特集号で、「アメリカが戦ったら 私はどうするか」というテーマのシンポジウムの企画があって、これにはシャーラウッド・アンダソン(Sherwood Anderson)、ヴァン・ワイク・ブルックス(Van Wyck Brooks)、ジョン・デューイー(John Dewey)などの興味ある顔ぶれが寄稿している。
 さて、同誌に載ったウルフの作品は、第一次大戦の最後の年、1918年の夏の南部を舞台にして戦争につきものの四つの出来事を描いたもので、これは取りも直さず、戦争の暗い悲劇的な顔なのである。
 ある飛行場の請負工事現場で白人の監督者から非道な打擲(ちょうちゃく)を受けて半殺しにされる黒人の話、同じ飛行場にある秘密軍用機の格納庫へ知らずに近づいたために、見張りの兵隊から罵られ暴行される三人の若者の話は、卑怯者が権威をかさに着て充足させようとする殺人への衝動、欲望を描破している。ある黒人貧民窟に建てられた間に合わせのバラックで、狩り集められた慰安婦と水兵をまじえる男たちとの間でそそくさと行なわれる売春行為は、人間の獣的欲望の赤裸々な姿であるし、最後のある軍港での場景は、戦争につきものの瞬間的価値判断から生じる不条理と残忍さのドラマである。戦争はこうした人の心の闇の奥に潜む動物的衝動の引き金を引く。そして個人は「戦争の大渦巻きの中に──アメリカの巨大な暗い深淵と、雑踏する混乱の中に、そして残酷で冷淡な魔法の国に」投げ込まれる。そこではすべての者が互いに他人として生き、矮小で孤独で見捨てられたまま生きるのである。

The Lost Boy. The Lost Girl.
この世には、世界中のいたる所に少年の死があり、少女の死がある。

One of the Girls in our Party.
私たち一行の一人

The Far and the Near.
遠きもの、近きもの

The Web of Earth.
大地の蜘蛛の巣

achieve the perfect work-life balance(仕事と人生の完全なバランス)

 完璧なワーク・ライフ・バランスを獲得する方法は一つしかない。働かないことだ。仕事(ワーク)と人生(ライフ)が別々の器に盛ってあるとすれば、すでに何かが間違っている。偉大な画家や、詩人、舞踏家、その他あらゆるアーティスト、起業家といったクリエイティブな人たちは、まず自分の生き方を選ぶ。その生き方に合わせて、どうやって食べていくか考えるのだ。自分に満足を与える人生を選ぶのであって社会的な要請を満たすために人生を選ぶのでは、話が逆だ。自分が書いているとき、描いているとき、または踊っているときでも何でもいいのだが、このような人たちはそのとき、嘘偽りのない自分でいられるという人たちなのだ。他のことなんかしている暇はないのである。  ビート・ジェネレーションの象徴的存在であるハンター・S・トンプソンは、一生書き続ける人生を望んだ。そこで彼はジャーナリズムで生計を立てながら、『ラスベガスをやっつけろ』等の小説を書いた。トンプソンは、大儲けもしなかったが貧乏だったこともなく、望み通りの人生だった。作家としての人生を生き切ったと言える。死後、葬式に際してトンプソンの灰は、号砲1発、大砲の弾とともに大空に打ち上げられた。彼らしいはなむけの1発だった。  ハンター・S・トンプソンが、走り書きのメモでこんな助言を友人に寄せている。「つまり、あくまで私の見た感じでは、人生の公式があるとすれば、こんなようなことだと思う。人は道を選ぶ。選んだ道は、自分の欲望を満たすために自分の才能を最大限に発揮させてくれる道でなければならない」。そしてこう結んでいる。「つまり、こういうことだ。前もって決められたゴールに到達するために人生を捧げるのではなく、楽しそうな道を選んだ方が得ってことさ」。トンプソンは、まさにそのような道を歩んだのだ。ジャーナリストとしてカツカツだったことがあっても、トンプソンは書き続けた。それが自分の信じた道であり、それ以外のことは、どうでもよかったのだ。  クリエイティブな人にとって、仕事と人生は合わせて一つなのであって、別々のものではない。自分自身が仕事なのだ。セットで一つなのだから、バランスもへったくれもない。一度仕事と人生が泣き別れになったら、あなたの人生は分裂してしまう。もしあなたが今、仕事を休んでどこかに出かけたいと思っているようなら、ただちに人生そのものを変えなければならない。 ──「仕事とお楽しみのバランスをとった方がいいと思っているのなら、やるだけ無駄でしょう。それよりも、仕事をお楽しみにした方がいいですよ」──ドナルド・トランプ [ 不動産王 ] THE ART OF CREATIVE THINKING by Rod Judkins 2015

Originally posted by everythingstarstuff

if something doesn’t need improving, improve it(改良の必要がないからこそ改良してみる)

 誰もが今ある普通の方法で満足しているときにこそ、より良い方法を探してみる。現状というものは当初の意味を失っても、集団の序列の序列の中で維持されてしまうものだ。より良い方法は常に存在する。人は、前からやっているという理由だけで、どうしてもあらかじめ決められた方法に従ってしまう。普通と思われているものに流されてしまうのだが、本当はそのやり方を発展させたり改良する点を探すべきなのだ。何度も試されうまくいくと保障されている方法に常に挑戦する心を持とう。どんなに長い間、同じことを同じやり方でやっていたにしても、そこには必ず改良の余地があるのだから。


──「同じことを繰り返すというのは、前に進むというより熱を起こしてしまうという意味では、摩擦と同じなのです」──ジョージ・エリオット[小説家]

get into what you’re into(カップの気持ちになる)

 何かをするときに、私たちは外側から覗き込んでいるだけのことも多い。遠くから観察しているだけ。あなたと、あなたがやることの間にある距離が遠すぎる。人生を無駄にしないために、そして仕事を無駄にしないためには、内側に入り込んだ方が良い。興味があったら、臆せず入り込んでいこう。自分自身が、企画の対象に「なる」のだ。その対象がカップなら、カップの気持ちになってみる。手にとられるということ、熱湯を注ぎこまれるということ、珈琲の香り、皿洗い機に入れられるということ、誤って傷つけられ、縁が欠けてしまうというのはどういうことか、想像してみるのだ。相手になりきって、中から外を見てみるのだ。


──「身の回りの環境に身を沈めて、自然を隅々まで観察しなければならない。または、対象に身を沈めて、その対象をどうやって再現するか理解しなければ」──ポール・セザンヌ[画家]

be a beginner, for ever(生涯初心者)

 経験が浅いということを最大限に活かそう。初心者の視点は新鮮なのだ。素人は新しいアイデアに対して心が閉じていない。だから、できることは何でもやってみる。「ちゃんとしたやり方」を知らないのだから、ある方法論でがんじがらめになっていないのだ。何が「正しい」か知らないというのは、何が「間違い」か知らないということでもあるのだ。


 専門家になってしまわないということ。権威になってしまわないということはとても重要だ。その道の大家は、常に過去の体験を参照する。一度うまくいった方法を繰り返す。せっかくの知識を儀式に変えてしまう。豊富な専門知識は、堅固な拘束具になってしまうのだ。その道何十年のベテランといっても、実はある1年分の経験を繰り返しているにすぎない。そして、自分のやり方を脅かす新しい方法が現れたら、揉み消しでしまおうとする。


 あなた自身に、そしてあなたの仕事場に新しい風を吹かせるために、今日1日「あなたの仕事じゃないこと」を試してみるのもいい。仕事を交換してみると、イノベーションを推奨する環境が生まれる。いつも新しいやり方を探す。わかりきったやり方を繰り返さない。普通のやり方など捨てて、普通じゃないやり方で試してみよう。


──「やり方を知っているということは、もう、それを1回やってしまったということだ。だから私はいつも、やり方がわからないことをやり続けなければならない」──エドゥアルド・チリーダ[彫刻家]

go from A to B via Z(AからZ経由でBに行く)

 いつも同じ道ばかり歩いていれば、自分がどこにいるのか迷うことはない代わりに、自分を見失ってしまう。同じことを同じようにやってばかりいては、いつも同じ結果しか得られない。職場でも、同じことを同じようにやってカビの生えたような結果を出し続けるという罠に落ちてしまいがちだ。何かを変えればいいことがある。机の向きを変えるとか、コピー機を移動して見るとかでも構わない。成長は痛みを伴う。しかしそれも、間違った場所に居続けることの苦痛には敵わない。何かを同じようにやる回数が多ければ多いほど、やり方を変えるのが難しくなってしまう。どんなことでも、今居る A から B へと移動して風景を変えてみなければならないときが必ずくる。でも、どうせなら遠回りして木製経由で行ってみよう。


「オリジナリティが習慣を打ち負かした結果が、クリエイティビティなのだ」──アーサー・ケストラー[作家・ジャーナリスト]

look over the horizon(地平線のそのまた向こうを見る)

 壮大なビジョンを持って未来を見据える人たち。彼らには未来が見えているわけではない。その代わり、自分が活動する分野にどのような展開があるかをしっかり見据えている。そして来るべき変化を一番乗りで迎えるのだ。ほとんどの人は目の前の雑事に追われて首を上げる暇もないが、その隙に彼らは地平線の彼方を見ているのである。


「ビジョンを持っているというのは、未来が見えるということだ。あるいは未来が見えたような気がするだけかもしれない。私の場合、見えた通りにやってみると、その通りになる。しかし、白昼夢とか夜の夢に未来を幻視するわけではない。市場を理解し、世界を理解し、人というものを良く理解して、明日はどっちに向かいそうかを知ることで、ビジョンが見えてくるのだ」──レナード・ローダー[エスティ・ローダー社 元社長・会長]

『贅沢に慣れてしまうなんて、そんなに悲しいことは他にないと思う』──チャーリー・チャップリン[映画監督・役者]

 ラルフ・ワォンド・エマーソン、エミリー・ディキンソン、ヘンリー・デイヴィッド・ソローをはじめとして、数えきれない思想家や詩人たちも、孤独の中に豊かなひらめきの種を見出した。物の少ないオフィスやアトリエは、脳の働きを鋭く保ってくれる。今やっていることに意識を完全に集中するので、ありのままを見ることができるのだ。拡散していた力が一束に収束し、より力強くなるかのように。人の心はさまよいがちなのだ。目移りするものを取り払って、心を一点に留めておこう。

架空の講義『メディア・リテラシーとは? 講師:高橋 利枝』講義メモ:ChuChu♪

『メディア・リテラシーとは?』
レン・マスターマンは、メディア・リテラシーの目的を「多くの人が力をつけ(empowerment)、社会の民主主義的構造を強化すること」(Masterman, L. 1995)としている。


「メディア・リテラシーとは、どのように機能するか、メディアはどのように意味を作りだすか、メディアの企業や産業はどのように組織されているか、メディアは現実をどのように構成するかなどについて学び、理解と楽しみを促進する目的で行う教育的な取り組みである。メディア・リテラシーの目標には、市民が自らメディアを創りだす力の獲得も含まれる」(鈴木みどり 1997)


「メディア・リテラシーとは、市民がメディアにアクセスし、分析し、評価し、多様な形態でコミュニケーションを創り出す能力を指す。この力には、文字を中心に考える従来のリテラシー概念を超えて、映像および電子形態のコミュニケーションを理解し、創りだす力も含まれる」(鈴木みどり 1997)


メディアリテラシー欧州憲章(European Charter for Media Literacy)による7つの能力(Livingston, S. 2009)
1.個人やコミュニティのニーズや利益にあったコンテンツにアクセスしたり、蓄えたり、取り戻したり、共有するためにメディアを効果的に利用する。
2.異なる文化的・制度的資源から幅広いメディアの形式とコンテンツにアクセスし、情報選択をする。
3.どのように、そしてなぜメディア・コンテンツが作られたのかを理解する。
4.メディアによって使われているテクニックや言語、慣例やメッセージを批判的に分析する。
5.アイデアや情報、意見を表現したり、コミュニケーションするために積極的にメディアを利用する。
6.不快で有害なメディアのコンテンツやサービスを特定したり、避けたり、挑戦したりする。
7.民主主義的な権利や市民の責任の実践のためにメディアを効果的に利用する。


「メディア・リテラシーとは、
 第一に、メディアに対する批判的(クリティカル)な読み書き能力であり、批判的(クリティカル)思考能力は主権者として生きる上で必要不可欠な能力である。
 第二に、メディア・リテラシーはメディアを創造し、発表し、コミュニケートするスキルや能力である。単にメディアを利用する能力ではなく、多様なコミュニケーションへとメディアを活用する能力を含んでいる。
 第三に、メディアについての基本的人権や社会責任を自覚し、多様なメディアを活用し、メディアが作り出す新しい公共圏に参加して、コミュニケーションする能力を民主主義社会の形成に寄与する力である。」(坂本旬 2009)


デジタル・リテラシーとは、「デジタル社会において生きる力」であり、そのために必要な能力は「アクセス」「クリティカル(分析・評価・解釈)」「コミュニケーション能力(表現・創造・参加)」の3つに集約することができる。
・クリティカル(分析・判断・利用・解釈)
(高橋利枝)


デジタル・リテラシーとは、デジタル社会を生きるための力だけではなく、「世界とつながり、グローバル社会を共に創る力」であり、言い換えるとデジタル・リテラシーとは、「グローバル社会に参加する基礎的な力」なのである。(高橋利枝)


「グローカリゼーション」とは、「グローバルなローカリゼーション」すなわち「グローバルなるものとローカルなるもの、あるいは、より抽象的なもの──普遍主義と個別主義〔•••〕の相互浸透」(Robertson, R. 1995)


テキスト:
『デジタルウィズダムの時代へ──若者とデジタルメディアのエンゲージメント』高橋 利枝 著 新曜社2016年10月7日発行より一部抜粋。

高橋 利枝(たかはし としえ)
早稲田大学文学学術院教授。英国 LSE 大学でソニア・リビングストーン教授に師事し博士号を取得。オックスフォード大学やバーバード大学と「若者とデジタル・メディア」に関する国際共同研究を行う。東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会テクノロジー諮問委員会委員。

架空の講義『「デザイン思考の一例」講師:佐宗邦威先生とMIT Media Lab 石井裕先生』講義メモ:ChuChu♪

『自分が見ていた世界と違う幅の世界に触れる──佐宗邦威(SASO KUNITAKE )』
 普段自分が無意識に接している世界とまったく違う振れ幅の世界に触れることで、発想をひろげること。
たとえば、以下のような軸で幅をつくることができます。

・人間横断:自分とはまったく違う環境の人の生活や人生に触れる(共感)
・分断横断:共通項を持ちながらまったく違った分野での例に触れる
・地理横断:世界のまったく違った場所でおこっていることに触れる
・時間横断:歴史的な観点から時代を経ておこっている違いと共通点を知る

『発想を飛躍させる:ジャンプ・プロセス』
 重要そうなものから一見関係なさそうなものまで、たくさんインプットしたら次は、新しくユニークな切り口を生むために発想をジャンプさせる。様々なアイデア発想法の方法論、このプロセスでのデザイナーの思考は大きく分けて、様々な組合せを結びつける「新結合」、一見違うものに共通点を見出す「アナロジー思考」、前提となるルールを変えてしまう「前提を壊す思考」の3つがある。

『強制発想マトリックスを使った発想』
 一見違う要素を無理やり結びつけて発想を生む、新結合による発想法。様々な組み合せを使った発想法「統合(シンセサス)」

『固定観念(メンタルモデル)から離れ、意図的に発想をジャンプさせるためのアナロジー思考』
 アナロジーとは、日本語で「類推」と訳されますが、一見違うように見えることに共通点を見出すことを指します。
 新しいことを発想する上では、すでに知っている身近な世界である自分の知識を、未知の世界の知識と結びつけることで新たねアイデアを生むことができます。
 伝える場面では、新たなアイデアを、はじめてそれを見開きする人が知っていることに結びつけます。つまりら「知っている世界」と「未知の世界」との間を2回、行き来する事が必要になります。「まったく違うように見えるけれど、何か共通点を探す」というアナロジー思考になります。

『アナロジー思考』
1.発想のためのアナロジー(自分の身近なものと結びつける:Make strange familiar)
2.伝えるためのアナロジー(自分の身近なものをまったく違うものと結びつける:Make familiar strange)

MIT Media Lab 石井裕先生

『シンプルに感情に訴えかける体験デザインを行うアウトプット』
 伝えたい要素を凝縮していかにシンプルにし、受け手に合ったかたちでドラマ性のある体験を実現し、感情を揺り動かすか。
これには、凝縮フォーマット、ストーリーテリング、体験デザインという3つの要素がある。